■ 佐為が帰ってきた 


「佐為、俺、頑張ってるからな・・・。」
少年から青年へと変貌を遂げた男は、太陽を見上げて呟やいた。
眩しさから目を細めたこの青年の名は、進藤ヒカル、プロ棋士五段。

佐為という友が消えてから、ヒカルはこうして、何度か彼を思い出す。
ヒカルは、もうすっかり大人の風体に変化していた。
そしていつの日か、あいつの目指したもの、あいつの目指した場所にたどり着きたい、という思いが募っていった。
少年が追いかけたのは、塔矢アキラ。
青年が追いかけはじめたのは、藤原佐為。

それは、佐為を忘れたくない、という気持ちが強かったためなのだろうか。
思いとは裏腹に、時間というのは残酷なもので、形どっていた幻影が色褪せてきはじめていた。

彼がしていたピアスの色はなんだっただろうか。
青だったろうか紫だったろうか。
無性にそんなことが気にかかった。

あいつが俺の碁の中にいる。
それはわかっていた。
だけれども、やはり、寂しい。

あいつがはしゃぐから、毎日、囲碁ばかりやっていたけど、でも碁をしない日もあった。
そんなときは、いろんな話をして、沢山笑って。泣いたり怒ったり。
凄いわがままなガキだったよな・・・。俺も、おまえも。
もっと、いろんなとこ、連れてってやりたかったな・・・。




「おまえ、ほんと凄ぇ快進撃、やってのけるのな。」
肩に置かれた手に驚いて振り向くと、喜んでいるような、それでいて呆れた顔を和谷がしていた。
それは彼なりの褒め言葉だ。
今日、ヒカルは、連勝記録を塗り替えたのである。
初段であったころよりも、段があがるにつれて、対局数がめっきり増えた。
知らない間にハードな試合数をこなしていた。
ヒカルは疲れた顔をして言った。
「和谷。おまえも勝ったんだろ?」
和谷はいつも、負けると悔しそうな表情をする。
開き直るのだが、こめかみにはプツっと線が浮かぶ。
勝敗表を見なくても、手にとるように判断できた。
今日はそれがない。
勝ったんだな、とヒカルは思う。
ライバルでもやはり友だ。
和谷が勝てば嬉しくなる。

「ああ。俺、今日調子良かったみたいでさ。」
「そっか。俺は、・・・まあまあかな。」
「なーに、情けねぇ面してんだよ。勝ってんだからもっと喜べよ。」
暗い顔をした進藤の様子にストレスでも溜まってるのだろうと思った和谷は、気分転換に食事にでも誘うことにした。
「なんか食ってこうぜ?奢らねーけど。」
「ちぇ〜。期待して損した。」
一瞬、晴れやかな顔をした進藤は、今度はむくれだした。
ガキのようなふるまいが、抜けきらない。
それを見て、和谷は、こいつがおかしいのはいつものことだよな、と思い当たって安心した。
「奢るとしたらおまえだろ?おまえっ!連勝してるやつが奢れよ。」
「えー。和谷ぁ。連勝記念に奢ってくれたっていいじゃん。」
ヒカルのラーメン好きに押し切られるように、二人はワリカンでラーメン屋へ寄った。




疲れた体は、ベットに身を横たえると、すぐに眠りに入っていく。
精神的にも肉体的にも、疲労のピークであった。
瞼を閉じた闇の世界は、とても静かで、深い深い眠りの底で、夢を見た。
樹齢何千年のような大きな大木が、風に揺られて鳴いていた。
まるでその鳴き声は、俺を呼んでいるかのように聞こえた。
そして俺は息を呑んだ。
世界に、小波が波紋を描いて、色が広がる。
大木の枝の隅々まで、行き渡る。
周りは黒で覆われているのに、其処だけが、浮かび上がっている。
桜が色鮮やかに咲いていた。
あまりの綺麗さに、足が勝手に動いていた。
近づいてみると、惚れ惚れするほどの美しさに、胸を打たれた。
だけど、なにかが物足りない。
俺は子犬だった。舞い降りてきた桜の花びらを噛むと、まずい味がした。
俺は置き去りにされた子犬で、見えない影を探し求めて泣いた。

そんな夢を見たからだろうか。
連勝記録はストップした。
どこをどう打ったのか、自分の知らない棋譜があった。
こんなの俺じゃない、佐為でもない。
不思議と、負けた悔しさはほとんど無かった。

俺は、とにかく、あの夢の続きが見たかった。
酷く淋しい夢なのに、思い返してみるとなんだか暖かくて、あの場所から離れたくなかった。




怒涛の連勝を続けていた進藤が負けた。
それが、なぜだか和谷を安心させた。
「ま、誰でも負けることはあるよな。」
人一倍世話好きな和谷は、進藤に会ったらそう言って励ましてやろうと思っていた。

「進藤。」
「あ、塔矢。おまえも終わったの?」
「ああ。残念だったな。」
今日の勝敗について言われているのだと気づいたヒカルは、
「ん・・・そうでもない。」
と言った。
大手合だからなのか?
塔矢は目を細くした。
「もう少し、悔しがるとかしたらどうだ?」
すると、進藤は、えへへ、と笑った。
それを和谷は、遠目から見ていた。

進藤は違う。
勝っても負けても、表情に出ないようになった。
負けた時は、もう諦めた時で。
しかたないや、といって笑う。
それが和谷には気に入らない。
だけど、どこか弟分のように接してきた過程が、彼と犬猿にならなかった秘訣でもある。
案の定、進藤は塔矢を怒らせてしまったようで、口喧嘩が始まった。

「だいたい君はいつも緊張感が足りないんだ!」
「うるせーな!おまえこそ、いつもピリピリしやがって!」
「大手合だからってなめるなっ!」
「なめてなんかねーよっ!」
この二人の口喧嘩は、もう見慣れたものである。
たいした理由はないけれど、こういうとき、いつも和谷は、心の内で進藤側の味方をした。
そして、その間に、伊角が割って入るのは、恒例のことである。
「まだ対局中なんだから・・・。」
小さい子をなだめすかすように、伊角は小さく咎める。
そして二人がうっと詰まると、しごく平静な振りになって、別れるのも恒例だ。

しかし今日は少しだけ違っていた。
「外でならいいんだろっ!」
と進藤が言ったからである。
伊角は少なからず驚いた。
塔矢は、というと、戸惑いもせず、
「ああ!外で話そうっ!」
売り言葉に買い言葉なのか、進藤の手を引っ張ってエレベーターに消えて行った。




塔矢と進藤の二人は、棋院からだいぶ離れたところに居た。
歩けば歩くほど、段々と、怒りも収まっていった。
二人は、一言も発せずに、ただ黙々と歩いた。
そして、とある公園に辿りついた。
入り口から少し離れた場所に、桜の木が一本、立っていた。




桜色の夢を進藤は見た。
咲き誇る桜に、進藤は言葉を失った。
夢でみた桜の木にひどく似ている。
突然、動かなくなった進藤を、塔矢はいぶかしんだ。
進藤は桜の木に目を奪われていて、塔矢も言葉を発するのを止めた。
白い服を着た、髪の長い人が、その木の下に佇んでいた。
桜を愛おしそうに見上げていた。

「・・・佐・・為・・・・。」
進藤がふと漏らした言葉。
塔矢はもちろん、その言葉に反応した。
進藤の目は、桜の木の下にいるらしい人影に、目を奪われていて。
塔矢もその方向に顔を向けた。

「おまえ・・・・、なんで?・・・会いに・・・来てくれたの・・・?」

現実か、それとも幻か。

進藤は、弱弱しい声で、虚ろな目をしながら、そちらの方へ一歩ずつ体を進めていく。
確かめたかった。これが夢だとしても、それでもいいと思った。
「あの人がっ、あの人が佐為なのかっっ!?」
塔矢ががしりと腕を掴んだが、進藤は強烈に身をよじらせて振り払った。
佐為、と叫ぶと、進藤は突然走り出した。
髪の長い人は、駆け寄ってきた進藤に気づいた。
そして後から追いかけてきた塔矢とも目が合った。
すると、ふわりと微笑んだ。
もう一度、見上げると、二人に同意を求めるように言う。
「綺麗ですよね・・・この桜。」

いつか見た笑顔に、いつのまにかぼやけていた輪郭が形づくりはじめる。
進藤は、言葉が喉に詰まって言いたいことが言えなかった。
佐為・・だ・・・。
進藤は涙を流していた。
視覚が歪んでいても、進藤ははっきり佐為が見えている。

佐為は、困ったような目でヒカルを見ると、言った。
「どうしたんですか?」
辛かった別れなど、まるでなかったかのように言う佐為に、ヒカルはきっと睨んで言った。
「どうしたじゃねぇよっ!どうしておまえ、こんなとこにいるんだよっ!!」
「・・・すいません。」
「謝んなくていいよっ!俺、おまえにいっぱい言いたいことがあるんだっ!」
「私に・・・?」
「あたりまえだろっ!!」

だが、進藤は、何を言ったらいいのかわからなかった。
何から話せばいいのかわからなかった。
嬉しさで、涙が溢れて止まらない。
「泣き上戸なんですか・・・?」
優しい声がヒカルの心に浸透する。

鼻水をしゃくりあげるヒカルに、後ろから塔矢がポケットティッシュを差し出した。
塔矢は、なにやら感動の場面、といったものに遭遇してしまったものだから、横から口を挟むことはできなかったが、鼻水くらいは手助けできた。
それだけ、機転のきく、男なのである。
だけど、内心は、佐為の事を聞きたくて、たまらない。
佐為と話がしたくてたまらない。
それをじっと堪えていた。

ヒカルは素直に塔矢の塵紙で鼻をかむと、塔矢の存在に気が付いた。
ヒカルは突然動揺した。
また、俺一人でしゃべって、変に思われてるんじゃないだろうか。
しかし、塔矢はそんなことはお構いなしで、塔矢の視線はある方向を向いていた。
視線の先には佐為がいる。

「ぇ・・・見えてんの?」
塔矢は、進藤のバカバカしい質問を無視した。
再会シーンはもう一区切りしたのだろうと、いたく冷静な塔矢だが
佐為と向き合うと、その実、塔矢の鼓動は激しく鳴る
この人が・・・

ついに見つけた
この人が・・・佐為・・・
「はじめまして。・・・僕が、塔矢アキラです。」
その声には、はっきりと緊張感が伴っている

なんで見えるの?
幽霊じゃないの?
昇華したんじゃないの?
答えを求めるように佐為を見ると、佐為は嬉しそうにニコニコしていて。
「はじめまして。」
という言葉も、気にならなかった。
佐為がいるんならどうでもいいや、と思ってしまって。
挨拶程度の言葉は、素通りした。
「私は――、」
という言葉を言うまでは。

『私は、です。』

はじめて聞く名前に、進藤も塔矢も、目を見開いた。




・・・・続く


季節物。春が終わるまでに完結させたかったのに、無理っぽいです(笑)
こんなんでよければ、続きでも読んでってください。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送