■ 1 ■ |
江戸の桜は、上野に始まり、飛鳥に終わると言われている。 東叡山寛永寺の桜は昔から有名で、彼岸花、吉野桜、八重桜、とだんだん奥に咲き進んでいく。 純粋に桜を楽しむなら絶好の場所なのだが、いかんせん、寺社境内であるから、飲酒や鳴り物といったものは禁止されている。 だからといって、ここが静かな場所かというと、そうでもない。 子供連れの花見客が、そこかしこに見受けられる。 しかし年寄り達は、その声から元気を分けて貰っているかのように、皆笑顔であった。 歩くと大層な距離があって、時折喉をうるおす必要があるかのように、茶屋が点々としている。 春といえど、暦は弥生(3月)。 まだ冷たい風が吹いている。息を吐くと、白い煙が広がり消える。 痺れはじめた身体から逃げるように、若者とおぼしき者は、開いていた茶店に入った。 この若者、格子柄の衣に袴を着用し、藍色で統一された、清潔感のある身なりをしている。 20くらいの若者なのに元服せず月代も剃っていないが、非常に好ましく見える人物である。 「団子ひとつ、おくれ。」 茶店の軒に座って桜を眺めていると、奥から婆が茶を持ってやってきた。 「おや、雪ノ丞さん。よく来てくなすった。」 「いやだな、粂婆さん。そんなに久しぶりかい?」 この婆さんをお粂さんといい、だいぶ前にご主人が亡くなってから、一人で切り盛りしている。 「三月ばかりになるんでねぇかい?」 「そんなにか?だから自然と足が粂さんとこに来たのかな。」 「腹すかしてるんでねぇかい?ひとつおまけしてやんなぁ。」 「おや、嬉しいこと言ってくれるなぁ。そういう太っ腹な粂さん大好きだあよ。毎日来ようかな。」 「ほほほ。ちょくちょく来てくだせぇな。雪の丞さんがいらっしゃれば安心てもんですよ。」 ほんにようきてくなすった、という粂婆さんは、懐かしそうに言う。 常連というわけでもないのだが、春になると桜を見に、毎年来るのだ。 だから知らず知らず覚えられて、世間話を話すようになった。 粂婆さんは、茶を席に置くと、ゆっくりと話しだした。 「最近はこの辺もぶっそうでねぇ。この界隈で、辻斬りがあったっていうしのぅ。」 「辻斬りかぁ。春になるとバカなやつらが増えるからなあ。粂婆さんも気をつけておくれよ。」 「へい。だども雪ノ丞さん、夜は一人で出歩いちゃあダメだよう。」 婆さんは、傍らに寄せて置いた刀を盗み見て、怖がるようにいう。 「切られちゃうかなあ?」 ちっとも緊張感のない雪ノ丞を見て、粂婆さんは、呆れた顔をした。 「ちっとも強そうには見えんしのう。」 「あはは。痛いとこ突かれちゃったな。私よりも弱っちい奴だといいんだけどなあ。」 この若衆姿は私のことであるが、わけあって、雪ノ丞と名乗っている。 大刀を腰にぶさらげてはいても、小柄な身体に似合わないようで、飾りのように思われている。 時折、衆道(男色)に間違われることもあるが、それももう慣れた。 腹に団子と茶を入れ、幾分あたたかくなり、足取り軽く茶店を出る。 腹が満たされると、幸せな気分になる。 今年の桜もいい感じに色づいていた。 満開になるのはもう少し先だろう。 しばし、同居人の事も忘れて、楽しむだけ楽しんだ。 余韻に浸っていると、いつのまにか江戸城下に出た。 このあたりは、何も用がないのにうろついていると、不審な奴め、と詰問されてしまう。 だから、横道に反れた。 すると、どこをどう歩いたのか、江戸城の外堀に辿り着いてしまった。 道を誤ったか・・・。 引き返そうとしたとき、武家人らしい男と町人らしい男の二人が目についた。 町人らしい男は、キョロキョロと辺りをうかがっている。 挙動不審としかいいようがない。 もう一方の男は後ろ姿のみで顔は見えない。袴を履いているから、どこかの侍だろう。 こちらに気づいていないようで、胸をなでおろすと、町人らしい男が、外堀に飛び込んだ。 かのように見える。 もう一人の男も、後に続いた。 自殺か!? と思うのも無理はない。 近づくこともできずに、木の影から覗き見ていると、町人らしい男が小船を漕ぎ、デンと座った侍風の男を乗せて、そろそろと城の方に向かっていく。 よかった・・・、自殺じゃなかったか・・・。 しばらくしてその小船は向こう岸に渡り、二人は堂々と城の中に入っていった。 こんなところに抜け道が、という驚きと、よく見つけたな、という感嘆。 お役人の安全対策など何の役にも立たない、無力感。 忍び込めるのか・・・? 実際二人は入ってしまった、という現実。 信じられない、という拒否感。 すべてが組み合わさって、複雑な気持ちである。 入城するといっても、人の目を忍んで、であるから、怪しいことこの上ない。 忘れよう・・・・。 江戸城内で、何が起きようと、庶民には関係ない。 なのだが、とんでもないものを目にしてしまった。 今日のことは一切忘れてしまおう・・・。 しかし、しっかりと見てしまった渡し守の顔はなかなか離れてくれなかった。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||