■ 12 ■










桜ももう散ってしまった。
嫌がるをなんとか丸め込んで花見をしたのは、ついこないだのことである。
満開の桜は大勢の人たちに囲まれて、少し息苦しそうだ。
だけれども、月夜の明かりが神々しさを増すに従って、桜もまた息を吹き返す。

帰り客がちらほらと見えだして、ちどり足の連れを懸命に支える者、顔を真っ赤にして笑い合う者達、腹に落書きを抱えたまま少し寒そうに鼻水をすする者達もいた。
そういった輩と入れ替わりに来たから、良い席が空いている。

桜の下に陣取って、と持参してきた杯を酌み交わした。
なんだかんだ言ったって、もまた、花見がしたかったようだ。
とても嬉しそうな顔をして、酒代がの懐から出ているのも気にならないらしい。

ほぺったが落ちるほどに上手い酒で、雪ノ丞は顔をほころばせた。
これほどに上手い酒は滅多にお目に掛かれなく、おそらくは袖の下から景気良く奮発してくれたのだろう。
無理をしただろうに、満面の笑顔を見せているは、そんな苦労を見せない。
当分の間は、の申し出にも耳を傾け、雑務も手伝ってやろうかな、と雪ノ丞は珍しく決心する。

あたりを包む静寂が風流を助長する。
二人共こういう静かな時間がとても好きだから、あまり多くを語ることもなく、かといって酒を飲みすぎる事もなく、チビリチビリと自由きままに楽しんだ。
端っこの方で、地に膝をついて吐いている者さえ無視できれば、楽園と言っていいだろう。

このところ飛鳥山では毎日のように喧騒が起きているから、同心達が仮の詰め所で控えている。
時折、見廻りが提灯(ちょうちん)を持って、欠伸(あくび)をしながら通り過ぎる。
まったく、ご苦労なことだ。
見廻り同心とかいう職には就くもんじゃないな、雪ノ丞はそう思った。
――仕事してるんだかしてないんだかわからない同心だったら、やってもいいが。

そんな慌ただしい祭りが、鳴りを潜めてからもう10日ほどだろうか。
やはり、桜が散ってしまうのは寂しいものだ。




今日も雪ノ丞は、町をフラフラとしていた。
は今月の弟子代もとい、飯代を親父にせびりに行っている。
やはり花見の出費は痛かったようで、最近の晩飯は質素なものだった。
無駄のない食材の利用法には長けているといっていい。
二人がこのような簡素な生活に四苦八苦しはじめてから、もう長いことたつ。
はじめは米の炊き方すらもわからなかった だが、つまづいてもつまづいても、挑戦しながら掻き分けて進んでいくうちに、その素直さが手伝って、味が格段に上達した。
贔屓目ではあるが、料亭にも負けないだろうと思う。
本人は信じようとしないが、私よりも上手い飯が炊けるのは確実だ。
の親父ならどういうだろう。同意してくれるだろうか。
驚くかな。一度食べさせてみたい、と思う。

の親父は、由緒正しい武家の家柄である。
はそこの六男で、穀潰しのようなものであるが、お坊ちゃんという事実は隠せない。
だから悪戯のしがいがあるのだ。はことあるごとに罠にひっかかり、むくれたり拗ねたりして、次は絶対にひっかかりませんからと宣言するにもかかわらず、同じような罠に陥る。ありきたりの罠にはかからないようにはなったが、まだまだ、昔から聞きなれた悲鳴や叫声は相変わらずだ。けれど、はただ苛められているというのではなく、本来なら避けることも可能なのだが、謙虚に負けを認めていて、さらに、お互いにそれを楽しんでいるようなところもあって、雪ノ丞はそれが生き甲斐であったといっても過言でない。
しかしそのが道場にいないので、雪ノ丞は非常に時間を持て余していた。
だからこうして、ぶらぶらと町を探索しているのだ。

いつもの風景ばかりが通りすぎる。喧嘩もなければ、迷子もいない。忙しそうな飛脚や商人とすれ違い、店の前に水を巻くおかみの姿も、いつもの通りだ。
目新しいものがこれといって見当たらなく、時期を過ぎた桜の葉でこしらえた桜餅でも食べていこうかと通り過ぎた店を思い出して、引き返そうとした時、ドン、と足になにかが当たった。

「いてぇっ!」

地面を見ると、子供が、転がっている。
そして起き上がると、砂まみれの魚を、拾い集めはじめた。

どこかのおじさんが、血相を変えて、こちらに走ってくる。
辺りにいる誰もが振り向くような、大きな声をあげた。
「・・・だれか捕まえとくれ〜!」
すると、子供が身体を強張らせ
「くそっ!」
と魚を抱えたまま逃げようとする。

雪ノ丞は、むんずと、子供の首根っこをつかまえると、
「ひえっ!」
と子供は、妙ちくりんな声をだし、
そして、じたじたと、暴れだした。

「何するんだよぅ!やめろよう!おい、離せよう!」
「・・・お若いの、ありがとうごぜえますだ。」
主人が、追いつくと、子供はがっくりとうなだれた。

雪ノ丞は、子供を地に降ろした。
「この子が、なにかやらかしたんですか?」
「泥棒でさあ。まったく近頃は、油断も隙もありゃしない。」

主人は子供を睨みつけるが、子供はうつむいたままで何も言わない。
悪い事をした、というのはわかっているようだ。
おそらく、この子供は、魚を盗んだのだろう。
主人は、一安心したように息をつくと、落ちた魚を拾いだした。

すると、一瞬の隙をつき、子供は、雪ノ丞の腕を強く振り払って逃げだした。
「おいっ!」
魚屋の主人は魚を手にしていて、捕まえることもかなわず、舌打ちをする。

雪ノ丞は、地に落ちた魚を拾うと、主人に言った。
「勘弁してやってくれ。大方、食う物に困ってるんだろう。」
「いやあ、ええがですよ。魚さえ帰ってくりゃあ、文句はないですき。」
先ほどまで怒っていた主人だったが、どうやらもう怒ってはいないらしい。
商売道具が戻ってきた、と喜んでいる。
捕まえた子供を番所に連れて行く気は無いらしかった。
雪ノ丞は、この主人に好感を持った。
「その魚、貰えるか?」
「でしたらお店のほうに。綺麗なもんもありますよって。」
「いや、それでいいよ。」
「ほんまですか?ほんなら安くしときますき。」
雪ノ丞は懐から10文銭を三枚取り出し、魚と交換した。
「こんなにいただくわけにはまいりませんが。」
「またあの子が来た時には、これで、見逃してやってくれないか。」
「へぇ。御代がいただけりゃ、文句はねえです。」
主人は、礼をすると、そそくさと去っていった。
その背中からは、複雑な人生を送った者特有の、暖かさが滲み出ていた。




一部始終を、逃げ出したはずの子供は遠くから見つめていた。
雪ノ丞は三匹の魚を手に、歩き出した。
つられるように、子供は雪ノ丞のあとを追いかけた。
幼稚な尾行は、雪ノ丞に気づかせる。
せわしない足音が、時折止まる。
走ったり止まったりを繰り返しているのだろう。
雪ノ丞はどうするべきか迷ったが、知らないふりをして歩きつづけることに決め込んだ。

道場に着いたが、はまだ帰ってきていない。親父から小言を貰っていそうだな・・・。
雪ノ丞は、庭先に枝を集めると、火付け石を使って、火をたいた。
井戸から汲んであった水を小さな桶に移し、魚を冷たい水で丁寧にすすぐ。
泥のついた魚はみるみるうちに綺麗になって、その透明な魚の目が顕になる。
あんぐりと開いた口先から、串を通すと、火に掛ける。
堅い鱗と火が重なり合って、パチパチと音がたっている。




後ろの方には、まだ、そわそわしている子供の気配があった。
「おまえ、そろそろ出てこいよ。」
雪ノ丞は、子供が居る方を振り返らずに、焚き火を見ながら言った。
「・・・・。」
子供は、辺りをキョロキョロ見渡すと、自分の事を言っているのだと気がついて、警戒するようにそろそろと姿を見せる。
雪ノ丞は、驚かせないよう静かに振り返った。
「おいで。腹、すかしてるんだろう?」
雪ノ丞は笑って、手招きした。

子供は、喉をゴクリをいわせると、覚悟を決めたかのように、ゆっくりと歩み寄った。
そして、雪ノ丞が座っている地べたの隣に、ちょこんと座ると、体を丸めて足を抱えた。
まるで、体が寒くて、焚き火に当たっているようだ、と雪ノ丞は思った。
雪ノ丞は、警戒させないように、焚き火の火に視線を戻し、子供が話し出すのを待った。
しばらくして、子供は重たい口を開く。
「・・・・・・。なんで、おいらなんか助けたんだ・・・?」
虚ろな目で問い掛ける子供に、雪ノ丞は慎重に言葉を選んだ。
「助けてなんかしてないさ。それに、逃げたのは、おまえだろう?」
「おいらの着物、ちょっとしか掴んでなかったじゃないか。それに、俺、知ってるぜ。あの魚、買ったんだろ?」
「よく、わかったな。」
「へへん。お見通しさ。」
子供は、嬉しそうに鼻の下を人差し指でこすった。
その仕草に、雪ノ丞は、少し微笑む。

辺りに香ばしい匂いが立ちこめる。
庭先を通りがかった近所の者が、皆、笑顔で会釈をしていった。
雪ノ丞は、それの全てを返していった。
子供は不思議そうにそれを見ていたが、雪の丞の後ろに隠れるようにしている。
魚がジュワジャワと脂を垂らせて、こがね色に色づいたのを見て、雪の丞は串を取った。
「さ、焼けたぞ。食べるか?」
「い、いらないやい。そんな泥まみれのものなんか。」
「ちゃんと洗ったぞ。それに、一人じゃ食べきれないからな、食べてくれ。」
「ど、どーしてもっていうんなら、食ってやるよ。」
串刺しの魚一匹を受け取ると、ガツガツと食べ始めた。
呆れながら、雪ノ丞は、もう一串を子供の前に差し出した。
「もう一匹、食べるか?」
すると、両手に串を持って、ガツガツと食べる。
「そんなに、あわてて・・・。よほどお腹が空いてるんだな。喉につまらすなよ。」
「・・・うるへいやい・・・」
と、口に魚をほうばったまま、しゃべろうとする。
雪の丞も、残る一匹に手を出した。
そうして、あとかたもなく、綺麗に骨だけが残る。

「おまえ、名は?」
「・・・太郎。」
太郎は口のまわりについた魚の脂を袖でゴシゴシと拭った。
「そうか、太郎か。おとっさんかおかっさんは、いるのかい?」
「そんなもん、いないやい。」
「だったらどこに住んでるんだ?」
「そんなこと、どーだっていいだろ!また、おいらを、捕まえるつもりかっ!?」
「いいや。面倒だから遠慮するよ。」

肌白い顔に綺麗な笑顔を浮かべながら言う雪ノ丞に、大きめの魚二匹を平らげた太郎は、
「おまえって、変な奴だな・・・。」
と呟いた。
太郎は、腰に刀を下げた奴は、皆、悪人だと思っていた。
あとをつけながら、その悪事を暴いてやろう、などとも考えていた。
けれど、雪ノ丞は通常の奴が持つ陰険な態度や冷たさを持っていなかった。
強そうにも見えないが、偉そうにも見えない。
どこか不思議な雰囲気を纏った『人』だった。




「食うもん食ったし、俺、帰る。」
と立ち上がった太郎を雪ノ丞は呼び止める。
「なに?」
「太郎。おまえここからちゃんと帰れるのか?」
「バカにすんないっ!」

太郎は、プイっとむくれると、背を向けて歩き始めた。
実際、太郎は自分の行動範囲を越えた場所に居た。
少々不安はあったが、来た道は覚えている。
それを、雪ノ丞はもう一度呼び止める。

「太郎。」
「なんだよう。」
「どーしても食べ物に困ったら、いつでもおいで。」
「・・・・・・。」
太郎は、驚いた顔をする。
それでいて、困ったような嬉しいような複雑な表情を見せた。
そして、腹いっぱいの満足そうな笑顔で、手を振ると、姿を消した。

雪ノ丞は、火の後始末をすると、その辺の砂をばらまき、にバレないよう証拠を抹殺した。
だがしかし、魚の匂いまでは取ることができなかった。





今回の注目シーン
オリキャラ、太郎、登場。幼いので、盗み、下手くそです(^^)



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