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それから一週間後、 太郎は、また盗みを働いたのである。 あの魚屋で。 おかみさんが、店の奥に引っ込んだのを見て、一瞬をつき、みごとに魚を持ち出した。 やった。成功だ。 勝ち誇った顔でいると、それを呼び止めた男がいた。 そして、強い力で襟を掴む。 「な、なな、なにすんだよ!」 「お金を払ってないな・・・?」 「つきだす気か?」 「悪いようにはしない。さ、それを返すんだ。」 「ちえっ。」 太郎はせっかく得た魚を抱えながら、しっかりと襟を掴まれ、逃げることも叶わなかったので、しぶしぶと男に連れて行かれた。 「ごめん。」 暖簾をくぐり、男が声をかけると、奥にいたおかみさんがでてくる。 「へぇ、なんでございましょう。」 「実は、この子が、道端で、これを拾ってな。」 おかみさんはきょとんとした。 「道端で、これを・・・?」 小さな子供の腕には、魚が三匹乗っていて、男に着物の首を捕まれている。 苦しい言い訳である。 そこに、店の主人が何かを聞きつけて出てくる。 「なんだ?お客さんかい?」 主人は、太郎の顔を見て、ポカンとする。そして、太郎の持っていた魚に目を移した。 「あれ、このボン・・・。また来たんか?そんなもん持ってどうしたんか?」 太郎は、主人から目をそらすと、てめえんとこのだよ、てめえの、と心の中で毒づいた。 「いや。ちょっとそこで、魚が落ちていてな。」 新之助がそういうと、主人は笑い出した。 「そうでっか〜。やはり持っていかはりましたか。御代はいただいてますよって。持ち帰ってええがですよ。」 主人は、そうでっか〜そうでっか〜、と笑っている。 新之助も太郎も、目を丸くする。 「じゃぁ・・・この子が例の?」 と、おかみさんがポンと手を叩いて面白そうに言うと、主人は笑顔で頷いた。 「・・・・なんだよそれ!!」 太郎は、わけがわからなくて、憤慨した。 「どうなってるんだ?」 「へぇ。あるお方が、先払いしてくだはりましたんで。」 「誰だよ!」 「知らんのか?一週間前、ボンがぶつかったお人ですき。」 「・・・・・・。」 「ありゃぁ〜、今に偉う人になりまっせ。なんてったって、目が違うとる。生まれながらの大将や。ボンもええ人に見込まれたもんやなぁ。」 主人は、人前を気にせず独り言を呟きながら、丁寧に魚を包むと、太郎に手渡した。 外にでると、太郎は、なんでだよ・・・、と呟いた。 一週間ほど前の、出来事を思い出す。 わざと逃がしてくれた、あの人。 手招きしてくれた、あの人。 香ばしい匂いのする焼いた魚を譲ってくれた、あの人。 普段盗んで食べるものよりも、断然おいしかった、あの味。 『どーしても、食べ物に困ったら。いつでもおいで。』 そういってくれた、あの人。 笑いかけてくれた、あの人。 「心当たりがあるのか?」 「・・・知らないやい!」 太郎は、膨れっ面で答える。 太郎は、気に入らなかった。 なんでこんなことするんだ。 新之助は、眉山を下げたが、優しい目で訴えた。 「感謝するんだぞ。」 太郎は瞬間的に新之助を睨むと、喰ってかかった。 「なんでだよ!おいら、頼んでないぜ!」 新之助の瞳から出る光線は、太郎に訴えかけるが、ほとんど効いていない。 叱るのは逆効果か・・。 新之助は一つためいきをすると、太郎の頭をくしゃくしゃと撫でた。 「頼まなくても、気に掛けてくれていた、ということだろう?」 「・・・・・・。」 「居場所を知ったら、お礼を言っておくことだ。」 新之助は諭すように言う。 太郎は、俯いた。 地面をじっと見ながら、とぼとぼと歩いた。 太郎は、かすれた声で、独り言のように呟いた。 「・・・おいら、知ってる。あの人、どこにいるか、知ってる。いつでも来いって言ってくれた。」 この道をずっとずっと歩いていけば、その人のいる所に着くだろう。 「・・・そうか。いい人なんだな。」 「おいら、嬉しかった。でも、おいら・・・・あそこには行けない。行きたくない。」 「どうしてだ?」 「迷惑・・・かけたくないんだ。」 太郎は、兄から、『大人しくいい子でいるんだぞ』といつもいつも言われていた。 太郎は、笑顔を浮かべて兄を見送る。朝早く出た兄は、日が落ちるまで帰ってこない。 寂しいこともあるけど、笑顔で見送らなくちゃ、無理にでも笑顔を作らなくちゃ、兄は心配するばかりだった。 兄は、毎日、太郎に食事を持ってきた。腹一杯になるような充分な量ではなかったが、我慢できるくらいにはあった。 けれど、兄は、たまに、一緒に食事をしない日があったりした。 食事を全部太郎に与えて、外で食べてくるからと出て行った。 そんな日は、兄が後で食べてくれるかもしれないから、太郎はいつもより大めに我慢した。 あまりお腹すいてないからと食事を残すと、兄はそれを次の朝に持ち越したが、少しだけ手をつけてくれた。 兄は否定していたけれど、お金がないというのが太郎にもわかった。 だから、自分の分くらいは、自分でなんとかしたいと思ったのだ。 だって、自分が兄の重荷になっているのはわかっているから。 少しでも兄の負担を軽くしたかったから。 親代わりを努める兄は、『他人から施しは受けるな』と言っていた。 なぜそう言ったのか、太郎にはわからなかったけれど、この魚は返さなきゃいけないということだけはわかった。 それから、他人に迷惑を掛けてはいけないというくらいの一応の常識は持ち合わせていた。 だがしかし、本当に心からそう思っているのなら、太郎は盗みを働く事などありえなかった。 太郎は、実感の湧かない知識をふつらふつらと思い浮かべたが、雪ノ丞に怒られるかどうかが今一番の心配事だった。 「きっとその人は本当に来てほしいと思ってるさ。」 「そうかなあ・・・?」 「行けばわかる。俺も、一緒にいてやろう。ほら、行くぞ。」 「・・・うん。」 うんとしかられたらどうしよう。 どうやっていいわけしようかな・・・。 ・・・あの人には、怒られたくないのにな。 太郎は、かなり不安だった。 太郎は、しょんぼりとしたまま、黙々と歩いた。 近づくにつれて、緊張が増してくる。 「この近くか?」 新之助にとって、見覚えのある風景である。 「うん。この辺の道場にいたんだ。」 「道場?」 「あ、でも、ちっとも偉そうな奴じゃないよ。」 影一刀流の道場に、符合した。 ここには、雪ノ丞とが住んでいる。 と、すれば、あの二人の内のどちらかだろう。 太郎の足が止まった時、中から丁度、雪ノ丞が出てきた。 雪ノ丞は、太郎と新之助を見比べると、首を傾げた。 「あれ?なんで二人が?」 新之助は、太郎の言っていた人が雪ノ丞であると理解した。 偉そうなやつじゃない・・・か、たしかにふんぞり返ってはいないよな、と苦笑する。 太郎は、助けを求めるように新之助を見上げる。 「おじさん、この人、知ってるの?」 おじさんと言われてしまった新之助が、ああ、と言うと、太郎は、なんだそっかぁ、と安心したように笑った。 「妙な組み合わせだなあ・・・。太郎、よく来たな。」 太郎は、ちっとも前と変わらない声をかける雪ノ丞を見た。 嫌われるかと思ったら不安で不安で苦しかったのに、全然わかってないよ、と八つ当たりをしたくなった。 「へん。言われなくても来てやらあ。」 さきほどまでおじけづいていた太郎は、開き直る。 太郎は雪ノ丞と目を合わせようとしない。 それを見て、雪ノ丞は中にいるを呼びつけた。 「そうか。おい、〜!」 「はいはいはい。なんでしょう?」 奥からがいそいそと出てくる。 そして、に注文する。 「飯、出して。」 しかし、太郎は大声でそれを拒む。 「平気だい!」 雪ノ丞は少し驚いたように言う。 「遠慮してんのか?」 「違わあ!」 二度も断る太郎に、雪ノ丞はその気がないらしいと心当たる。 「・・・そうか。せっかく、つまもうと思ったのに。」 「それより、なんであんなことしたんだよう。おいら、このお侍さんに捕まっちゃって、ビビったじゃないかよう。」 雪ノ丞は目を大きく開くと、転げるように笑った。 「ははは。なんだ!また捕まっちゃったのかあ?下手くそだなあ、おまえ。やっぱり、止めといたほうがいいんじゃないか?もうちょっとうまくならないと・・・。」 「・・・・ちぇっ。」 心配して損した。太郎はそう思ってから、ほっと胸を撫で下ろした。 着物が汚れているから、擦り切れてるから、髪が乱れているから、臭いから、とか、太郎はそういった理由で一方的に苛められることがあった。大人達も見て見ぬ振りで、庇ってくれる人もいなかった。 それどころか、大人達は、汚らしい、と白い目で蔑む。 ましてや、太郎が盗みを働いたと知ると、それまで優しく接してくれた人も避けるように遠のいていった。 けれど、目の前にいる雪の丞は違っていた。 盗みをしたと知っても、それが単なる小噺(こばなし)であるかのように、笑い飛ばしたのだ。 まるで、自分自身の存在を認めてくれたような気がした。 「聞いたぞ。魚屋が言ってたが、先払いしといたんだってな。」 ホラ、と、新之助は、太郎の持っている包みを指す。 それを見て、雪ノ丞は、中身が魚だとわかった。 雪ノ丞はまた笑うと、 「えっ、じゃぁ、太郎、あの魚屋にまた行っちゃったの?・・・やるんなら、うまくいきそうなとこを狙わなきゃ。」 頭使え、頭。と太郎の額をコツンと突付く。 「そういう問題か?」 「ああ、ダメですかね?新之助さん。」 新之助は、太郎を見てから言った。 「なぜあんなことしたのか、不思議がっているぞ?」 太郎は、コクコクと頷いている。 太郎はずっと不思議だった。なぜこんな汚らしい自分に優しくしてくれるのだろうか。 なぜこんなお荷物でしかない自分を、認めてくれるのだろうか。 わからないことだらけである。 「あんなことって・・・先払いのこと?ああ、あれねぇ・・・、お使いみたいなもんかな。」 「お使い?」 「ちょうどいいじゃないか。代わりに買い物してきてくれるわけだから。違法にはならないよ。」 「で、でも、俺が持ってくるとは限らないじゃないかっ!だ、だって、逃げちゃったかもしんないだろっ!そしたらどうすんだよっ!?」 雪ノ丞は興奮している太郎に笑って言った。 「あぁ、別に構わないよ。おまえの分なんだから。」 「お・・いら・・・の分・・・?」 太郎の声は、上ずった。 「ああ。ここは太郎の秘密基地だからな。」 「買い物でしたら、私が行きますのに・・・。」 と、は、寂しがる。 「、拗ねるなよ。手間もはぶけて、いいじゃないか。ん・・・どうした、太郎?」 太郎は、肩を揺らせて、涙ぐんでいる。 他人から構ってもらう経験のない太郎は、あまりの暖かさが嬉しかったのである。 片手に心地よい魚の重みを感じながら、太郎はワンワンと泣きじゃくった。 |
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