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しばらく歩いたのち、道場に辿り着いた。

「ここです、新之助殿。どうです?ボロいでしょう?」

その通りである。
いたるところに障子が破れており、小汚なかった。

「さ、新之助殿。こちらへどうぞ。」

外見はボロボロながらも、中身は小奇麗にされている。
ところどころ、補修された跡がある。
詳しくは・・・言うまい。

雪ノ丞は辺りを見渡したが、人の居る気配がない。
「で、どこに無頼がいるのでしょうね。全く・・・。」
「・・・いないようだな。」
「ええ、いないみたいです・・・。ささ、こちらへ。」

奥の客間に通されると、新しい畳の新芽の香りがした。
客に通すのに、恥じない場所だ。

「囲碁でもどうです?」

ひっぱり出した碁盤は、うっすらと埃を被っていたようで、雪ノ丞が息を吹きかけると、粉が舞った。
「けほっ。だめだ。茶でも入れよう・・・・。」
猿は囲炉裏に火をかけたまま、飛び出してきたのだろう。まだ湯が暖まっている。
それを持って茶を入れると、新之助に差し出した。

「ん。上手いな。どこの茶だ?」
「草津らしいですよ。貰い物なのでよく知りません。」
「いい茶だな。」
「味わかるんですね。案外、千利休が育てた茶かもしれませんよ。」

そんな、わけはない。千利休は戦国時代の茶聖だ。

「はっはっは。」

笑い話で盛り上がった。

「おもてなしはまだかなあ。それにしても、お客様を迎えるなんて、久しぶりですよ。」
「ほぅ。それはまた何故に?」
「剣の道を極めるため、秋頃まで近隣諸国を回っておりました。戻るとアレがえらく喜びましてね〜。いいというのに、畳を入れ替えたのですよ。」


床の間に目をやると、掛け軸が二枚、主張していた。
それぞれ形の違う字が、したためられている。

< 動と静 雪ノ丞 >
< 静と動  >

大胆な字で、豪快に書かれている。
その狭間に名が連なっている。


「あの掛け軸は?」
新之助は、それを不思議そうに見た。

「ああ、あの見苦しい字は、お恥ずかしながら、我らの書でございます。」
「最高のもてなし方だな。それこそ上手い下手は問題ではない。自分の書を表装し掛けるのは、なかなか粋なことだと思うが。」
「褒めても何もでませんよ。アレが帰ってくるまではね。それはここの道場をもらいうけた時に、飾ったものなのです。一度も外していませんから、随分と埃をかぶっていそうですけど。まぁ、これからも外すことはないでしょうね。面倒だし。」


新之助は、掛け軸に書かれた名前が気になった。
町人には、苗字がない。

、というのは、本名か?何故に猿と呼ぶのだ?」
「ああ、たしか前はそういう名でしたね。名前ってのは元服すると変わるでしょう?だから、新しい名前なんか忘れちゃいました。」
「あまり嬉しそうには見えないがな。姫君がそれだから、ムキになって名を呼ばないのでは?」
「あっはっは。案外、それもあるかもしれませんね。でも本当は、名前なんて、なんだっていいんですよ。それに好き好んでこんなところに出入りし、私に付きまとってくれるのは、彼くらいのものですから。」
殿は武家出身か?」
「六人目、ともなると、身分なんてあってないようなものだとか。」
「雪ノ丞殿も、どこかの姫君なのかな?」
「あっはっは。ありえませんよ。の影響受けてますね。」

という字は、道場の頭文字からとった、という説明を受けた。

「あっ、噂をすれば影ですよ。」

木戸の空く音がして、帰りましたと声が響いた。
姿勢を正すと、酒肴の膳を持ったが入ってきた。

「よかった。まだいらしてくださったのですね。新之助殿の分も用意してありますので一緒にどうぞ。」
「かたじけない。」
「ついでに今日はお泊りください。空き部屋ばかりですので。」
「そこまでしていただくわけには。」
「いいのですよ。姫様のお話し相手がいらっしゃるのは歓迎です。私ばかりでは飽きてしまいますでしょうし。」

は、ね、と、雪ノ丞を覗き込む。
雪ノ丞は、そっぽを向いた。その姿は、肯定とも否定とも取れない。

「何言ってんだか。」
「ならば、お言葉に甘えさせていただこう。」
「是非ともそうしてください。」




宴もたけなわ。
頃を見計らったように、雪ノ丞がにねだる。

「なぁ、猿。飛鳥山の方に行きたいんだけど・・・・。」
「ダメですよう。花見ならもう十分堪能してきたでしょう?しかも一人で。私を置いて。あぁ・・・たった一枚の書置き残して・・・。」
「拗ねるなって。だから一緒に飛鳥山行こうって言ってるじゃないか。」
「何言ってるんです。グデングデンに酔っ払うつもりでしょう?やです。まったく、殿様も、迷惑なことしてくれますよね、・・・新之助殿もそう思いませんか?」
「あ、いや・・・。そうか・・・?」

一瞬鈍った声を出す新之助。
飛鳥山は、吉宗が発案して作らせた花見場所だ。
寛永寺とは異なり、仮装、鳴物、音曲お構いなしで、飲酒も許可されている。

雪ノ丞は、そこへ行きたいとに言っている。
しかし、は、酔っ払いの相手は嫌だ、と断っている。
殿様がそんな無法地帯を作ってしまって、雪ノ丞にからまれる結果が見えているには、いい迷惑である。

「おまえもグデングデンのヨレヨレになればいいんじゃないか?」
「できませんよ。姫様をお守りするんですから。もっとやですよ。」
「誰が誰を守るんだって?一人で居たくないだけじゃないのか?」

「・・・そういえば道場破りはどうなったんですか?」
「あっ、話そらしたな。誰もいないんじゃ、破りもなにもないだろう。」
「あっ、そうか。じゃ、早速、お食事にしましょう。」
「かたじけない。御相伴に預かろう。」
「・・・なんかうまくはぐらかされた気がする。・・・それより飛鳥山なんだけどね。」

雪ノ丞は、しつこく粘る。
そこでは、ひとつの提案をした。

「障子全部張り替えたら、いいですよ?」
「全部〜!?そんなことしたら金かかってしょうがないじゃないか。」
「それくらいなんとかしますよ。」
「なんとかってったってね・・・。どうやって工面するんだっつーの。」
「いつまでもボロボロのままにしておけませんよ。それに、姫様の名をだせば、男の一人や二人、イチコロですって。」
「・・・結局私が借りるんじゃないか。」
「私の弟子代は、飯だけですからねえ・・・。」

は、知らぬ存ぜぬ、とそっぽを向いている。

「あーあー。全部とはね・・・・。こりゃあ、新之助殿、丸三日かかりますよ。」
と新之助に白羽の矢が立った。
「俺もか?」
「ダメですよ。新之助殿は、お客様ではないですか。」
「いや、いいんだ。俺にできる事なら、力になろう。」
「なんてったって、男衆がいないのは困り者なんですよ。明日がダメなら、新之助殿がまたいらしたときにやりましょう。」
「・・・ぶっ」

チロチロと飲んでいた酒を新之助は吹いた。

「あ〜もったいないね〜。」
と、雪ノ丞は呟く。
「ええ。修行が足りませんね。」
は、きっぱりという。
「す、すまない。」
と新之助が謝ると、は笑った。

「一度私も言ってみたかったんです。」

がいつも雪ノ丞から言われている言葉らしい。
こうして、男三人が大の字で寝転がるにはちと狭い六畳一間で、仲良く眠りに落ちたのである。




隼人は、上様が道場へ入っていくのを見届けると、 上様からのお達しより先に、雪ノ丞の身辺を洗った。
町人から見ると、やはり刀を手にする人々は、違う世界の人なのだろう。
侍は、当然のどこく敬遠されてしまう。
しかし、弱そうに見える若衆姿の好青年は、親しみを得やすいようだ。
町人は、口々に、いいお人だ、と声を揃える。
刀を持つ知り合いが、店にいてくれるだけで、安心して仕事ができる、という。
寄っていってほしい、という。
あの方は、きっと守ってくださる、という。
だけど、争いごとには巻き込まれないでほしい、と願っている。
あまり強そうには見えないからだ。

アラ探しをしてみても、何もでない・・・。

隼人は、ため息をついた。

上様が、自分から名乗り上げるときは、何らかのトラブルに巻き込まれるのが常だ。
トラブルメーカー上様伝説である。
このまま、何もない、はずはない。
隼人は、確信に似た思いを持っていた。
というのも、これはお庭番鉄則、とも言うべきもので、受け継がれている。
こうなったら、24時間監視してやる。
気をひきしめて、隼人は、再度、調べにとりかかった。




夜中に、雪ノ丞は何かの気配で目がさめた。
寒さで目がさめたのだと思った。
寝ぼけていたからか、お庭番の気配殺しが熟練した腕前だったのか、どうでもよかったのか。
どちらにしても、雪ノ丞は気づかなかった。

ごろ寝している二人の男に、毛布を取り出し、掛けてやる。
足先が冷えに冷えて、無性に風呂に入りたくなった。
風呂場に行くと、一度が暖めておいてくれたのか、湯は、ぬるかった。
外にでて、火を焚き、湯をもう一度あたためる。
しばらくしてから、蓋をあけると、白いモヤが立ち上った。

すべるように、着物を脱ぐと、雪ノ丞の肌があわらになった。
ろうそく一本の灯りに照らされながら、湯につかり、手拭いで、肌の汚れをやわからく落としていく。

お庭番隼人は、鼻血を出した。
雪ノ丞という人物に、乳房がついていたからである。





今回の注目シーン
新之助「上手い下手は問題ではない」(言外に下手だと言ってます)
トラブルメーカー上様伝説(新之助が名前をいうと、何らかのトラブルに巻き込んでしまう、これ本当)
覗き魔隼人、根性の探索は、みごと成功(笑)

ミステイク
囲炉裏に火をかけたまま飛び出してきたら、湯は煮つまってて熱いはず
熱湯で茶を入れたら、一般的に、まずい、です(しまったぁ!!)




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