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「さて、。朝の稽古の時間だよ。」
「はい。」

そして、は、弓を手に取った。

ここは道場である。
が、弓道場ではないはずだ。
新之助は、疑問に思う。
剣術指南の道場ではないのか・・・?

疑問が顔に出ていたようだ。
雪ノ丞は、の行動を説明した。

「剣はダメでも、弓は得意なのですよ。私は全く逆ですがね。」
「なるほど、立ち振る舞いの優雅さは弓道の流れか。拝見させて頂いてもよろしいか?」
「ええ、もちろんですよ。巻藁(まきわら)ですけどね。新之助殿、経験はおありか?」
「少しは。」
「では、新之助殿もやってみますか。裏の方に用意してありますから。」




裏庭に出ると、雪ノ丞は、一歩ずつゆっくりと進み、地に座る。
流れるような動作は、隙が無く、緊張感を伴っている。

これは作法だ。

さすがといおうかなんといおうか、若くしても、師である。
目から鱗がでる思いである。
新之助は、その仕草に少し緊張した。
幼少の頃に、礼儀作法を学んだ師を思い出した。
それを見すかすように、雪ノ丞は新之助に笑いかけた。

「新之助殿、肩を張らずに、私の向かいにお座り下さい。・・・それでは一本ずつ、よろしくお願いいたします。」

雪ノ丞の礼に合わせて、新之助も礼をする。

は、慣れた手つきでたすき掛けをすると、片手に小振りの白木の弓を持ち、巻藁の正面に入る。
呼吸を整える音が聞こえてきそうなほど、静かに射位に入る。

これまでに、矢数は多いだろう、と思われた。
おそらく正式な場での経験もあるような気がした。

それほどに、美しかったのである。




表で物音がした。
誰かが敷地内に入ったようである。
その拍子に、射かけた矢が、的にズブリとめり込んだ。

〜〜・・・・・。修行が足りないね。」
「・・・はい。」
「お客が来てしまったようだし、今日はこの辺であがりなさい。」
「・・・はい。」

「新之助殿、今日の稽古はちと無理なようです。あとの始末をせねばならないのですが、お手伝い願えますか?」
「あとの始末、というと?」
「巻藁のことです。の指示に従ってください。すみませんが、失礼致します。」

すっと座を離れた雪ノ丞は、足音を全くたてないのに気が付いた。
衣擦れ、といった音が聞こえてこないのだ。
よほど作法に精通した人であろう。もはや、ただの道場主とは思えない。
江戸城の中でも、これができる人は、限られていたからである。




桶と縄と、丸く作られた布地のような藁を持ったに、新之助はこれから一体何をするのか首をかしげた。

殿・・・でよろしいか?元服前の御名と承りましたが。」
でも猿でもいいですよ。雪ノ丞様に言われているうちに、私も現名を忘れてしまいましたから。」
「嫌ではないのか?」
「いいえ、ちっとも。雪ノ丞様に言われるのであれば、犬だって構いやしませんよ。それに私に対するお心遣いですから。」
「ほう・・・。それは――」

といいかけたところへ、
「新之助殿、矢の刺さっている付近を両手で押さえていてもらえますか?」
指示が入った。
「わかりました。」

は桶を、巻藁の矢が刺さった面から垂直に地面へ置くと、
「しっかり押さえてくださいね。」
と念を押す。
「ええ。」

は矢を勢いよく引っこ抜くと、意外に大きな穴ができ、そこから白いこまかい粒が中から飛び出した。

サァァァ・・・。

小川のせせらぎの音をたてて流れているのは、白米である。

白米が、桶に注がれる。

「あっ、新之助殿、手を緩めてはなりませんよ。」

新之助が、力を込めると、勢いは緩やかになった。
そこへすかさず、穴の部分に、は広い面を持つ藁の中心部分を押し当てた。

「では、新之助殿、端を縄でくくりつけてください。」
言われたとおり、新之助は、端を縄で、ぐるぐると巻きつけ、最後の締めは、が執り行った。

「ふぅ・・・。結構この作業、きついんですよね。助かりました。」
「これは、米俵であったのか。」
「ええ。いつもは玄米なんですけどね。今日・明日は、白米ですよ。豪華だなあ。」
と、は、嬉しそうに言う。

「なぜこんなことを?」
「中に薄めの的が仕掛けられてましてね。力が強いと、中の的が貫通してしまうんです。力の加減を調節しなければならないので、それがこれの難しいところなんですよ。」

「それを私にやらせようとしていたのか・・・?・・・・無茶な話だな。」
「いいえ、気になさることはありません。新之助殿に白米貫通をしていただくつもりでおりましたから、今日の献立は、はじめから決まっていたのです。もし新之助殿が失敗した場合は、雪ノ丞様自ら貫通させたでしょうね。」
「ははは。これは一本とられたな。だが、失敗しても嬉しい結果が待っているとなると、これでは修行にならないのでは?」
「いえいえ、なにしろここは貧乏道場ですからね。白米を買う余裕はあまりないのです。白米を出すと、嬉しいですが、結果的に生活にかかわるのですよ。最終的には近所の方々にお配りするのですが、それも無くすわけにはまいりませんし。ですから普段は、切実な問題なのです。」

は笑っている。

「なるほど。それにしても面白い稽古をしているのだな。」
「すべては雪ノ丞様のお力です。お傍にいられるだけで光栄なんです。」

「まるで主従のようだな。」

新之助は、カマをかけるつもりであった。
なにかしらの反応を得られるかと思ったが、は、いともあっさりと答えた。

「いいえ。雪ノ丞様は誰かを縛ることなど致しませんし、縛られることもありません。」
「では聞くが、姫様、とは?」
「ああ・・・、それは私が猿と呼ばれているお返しです。」
「やはりそうか。本当に弟子が一人なのだな?」
「ええ。雪ノ丞様がここを発ってしまい、その間、私がここを預かっていたのですが、あまりに私が弱いからか、弟子たちが他の道場へ移ってしまわれたがですよ。」

「募集はしていないのか?」
「雪ノ丞様がいうには、看板を出しとけば自然と集まってくるもんだ、とのことなのですが、なにしろ師範代が、華奢な身体つきをしてますからね。ひ弱に見えてしまいますし、端から見れば、信用できないようですよ。それにぶらり旅で留守も多いですし、この道場は認知度が低いのです。」

「それは大変だな。」
「ええ、それはもう。私の弟子代だけでは、毎日食べていくのがやっとですから。」
「看板の効果は、無しか。」

「小野派一刀流の免状も飾ればいいのに、仕舞ってありますから、眉唾ものにしか思えないのでしょう。この度は、直心影流の免許も貰って来たそうですが、公にはしないそうです。丁寧に仕舞うお手伝いをさせていただきましたよ。それに我流・影一刀流ですしね。」
「そうか。ご自分で、流儀をたてたのか。」

「有名にはなりそうもないとおっしゃってますが、有名にする気もないのでしょうね。もともと、腕っぷしの弱い者のための剣術なのですよ。ひょろひょろした私には、他の道場よりも向いていると思います。それに私のために、こうして弓も扱える場ですから。最近などは、立ち合ってもくれないんですよ。」
「弟子、なのにか?」
「私は下手ですしねぇ・・・。熱心にご教授してくださらないのは、やたらと稽古したところで、成果はほとんどないからなのです。集中することが肝要、と私も賛同しています。弓も同じくそうですし。だから、静と動、なのですよ。」

なるほど、と新之助は床の間の掛け軸を思い返して、唸る。

「人目を忍んで稽古をしたり、道場を貰い受けるのにも、苦労なさった方ですからね。ようやく得た自由のお手伝いをさせていただいているだけです。」



雪ノ丞の気風との信頼の深さに、新之助は感嘆の声をあげた。




「雪ノ丞様が、旅に出ていらした時は、それはもう滅茶苦茶でしたよ。道場破りって結構多いんですけど、私は弱いですしね。ですから、雪ノ丞様から、好きなだけ持っていかせろ、なんて言われてて。一体何枚持っていかれたことか・・・。たき火には、ちょうどいいですけど。」

は、あどけなく笑っている。





今回の注目シーン
新之助の弓経験、少しは、と嘘ぶっこいた(いつもチラリズムしながら弓射ってるじゃないか!=[片肌脱ぎ])

ヒロインの腕前について
小野派一刀流と直心影流の免許皆伝
そして、独自に、影一刀流を作り上げた(両方から字を取ってみた)

メモ
矢数が多い=沢山矢を射っている=経験が豊富、という意味。




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