白の死神 |
部下が消え、隣の部屋から誰もいなくなったのをみはからい、卯の花は言った。 「参考程度として聞いていただきたいのですが」 白哉は目を瞑った。 どんな覚悟も引き受けるかのようだった。 卯の花は視線を逸らし、外の景色をみながら自分を落ち着かせるように、平静をつとめた。 「基本的には、脳内分泌物異常を引き起こすことで、生体防衛機能を強化する。それが間違いないとすると、さんの体質は突発的な生理的混乱状態を招くものですから、これを抑える働きがあるでしょう。極端にいって、魂魄自体への負担が軽くなる可能性はあります。さんにとっての奇跡の薬は、理論上は可能かもしれません」 けれど、と卯の花は続ける。 「薬には副作用がつきまとうものです」 卯の花は、これを受け入れられるだろうかと考えながら核心に迫る。 「憶測でしかありませんが、身体的な疲労を回避するかわりに精神的な負荷は避けられないでしょう。精神心理的な部分に異常が生じます。この場合、免疫力の向上や細胞の活性化などがあげられる反面、欲といったものが抑えられ、自我が薄れていくのです。人は記憶を引き出して行動をする生き物ですから、いつかは、その記憶を引き出そうとすることをやめるでしょう。そうすると霊力と魂魄の関係も・・・別々、・・・さんたら、突拍子もないことを考えたものだわね・・」 卯の花は話しながら、深刻な話を整理していた。 ところが途中、の考えが読めてきたような気がしてきて、思わず感嘆のため息を漏らした。 常人では気づかぬ死角を確実につく勘のよさと、それをイメージだけでなく現実化する実力と才能に、敬意を表したい程だ。 白哉の不可解な視線に、卯の花は横道にそれたことを詫び、続けた。 「いえ、ごめんなさい。その程度はさんもご承知のはずでしょう。長期間服用しているとすると、確実に何か飲み続けなければならない理由があるでしょう。問題なのは、薬を服用しているその理由自体を忘れてしまうことです。服用のコントロールができなくなると、それを飲めば楽になる、といった体の記憶により、脅迫観念のようなもので際限なく飲み続けることになり、最後には全ての記憶を失い、自分の名すら思い出さなくなり、ついには人格を失います。そうでなくても、精神崩壊を起こす危険性は非常に高いといえましょう」 私が言えるのはこれくらいですわ、と卯の花は苦しそうに言った。 常用することの危険性は、楽観視できない。 単なる風邪薬ではないし、魂魄への影響があるとすれば、それは専門分野の者でなければわからない。 そしてその最先端が問題の人でもあり、一人孤独に耐え研究を続けてきたのかと思うと、哀しいとも思うが、その才能に憧憬もする。 幅広い知識と応用力は即戦力としても利用価値が高い。 決して本人は靡かないけれど、やはり欲しい逸材であることに変わりない。 様々な思いが交錯する。 卯の花ははっとした。 「さん・・・」 は天井をみあげたまま、旅の余韻に浸っていた。 帰還した。 白哉はその様子を鋭く見つめた。 瞳から、酷い疲労感が伝わってくる。 どんな旅をしてきたのか、何であれ、一人でそれをさせてしまったことを白哉は悔やむ。 は、白哉を見、卯の花を見、部屋を見て、どうしてそこにいるのかわからないようだった。 「私は・・」 精神の崩壊の可能性。口にするべきではなかった、と卯の花はきつく唇を噛む。 「ああ・・そうか。・・・私は」 旅を、とはだるそうに体を起こし、深い息を吐いた。 そうして、思い出したように髪をかきあげて、大きく息を吸った。 「うん・・やっぱり・・」 卯の花と白哉は、不審に見た。 は、深い虚無感にとらわれていた。 「そう・・・理論上は可能。だけれど足りないものがあります」 まいったなあ、とは愚痴をこぼし、言葉ひとつひとつがはっきりとしてくる。 そうしてそのまま、卯の花の疑問に答えた。 「霊子を集めても魂にはならないのと同じで、死んだ魂魄を生きた魂魄にはできない。なら腐りかけた魂魄を正常な魂魄にするのは不可能なのか。私が辿りついた残された可能性は、・・・魂魄の意志」 「意志ですって?そんなことありえないわ」 難しい、とは哀しそうに微笑んだ。 歩み寄る白哉の気配に、が顔を上げ、卯の花は息を呑んだ。 ピシャリ。 白哉はの頬を叩き、わずかにベットが揺れた。 「人に心配をかけさせた罰だ」 暗く鈍い瞳が、蘇る。 は、生きた瞳を白哉に向けた。 「心配・・心配ね。だけど白哉のそれは壊れた玩具に対する修理者のそれではないの」 なんでもいい、と白哉は思う。 怒りが生きる力になるなら、それでもよいと思えた。 「人は物ではない。仮にそうだとしても想いは変わらぬ」 本音を悟らせようとしないから、無理やりにでも、心を開きたいと願った。 「生きているその意味を考えたことは。ソウルソサエティの意味を考えたことは。私はずっとそれを考えるためだけに生きてきた」 は真摯に語る。だからこそ、真摯に返さなければならない。 「存在する。それだけで十分だ。私もおまえも」 は両手をしっかりと組み、先を見るように話した。 そしてそれは、卯の花の疑問にも平静に答えていた。 「人は環境によって作られ、記憶によって人格を形成する。しかし記憶は進行形なもの。意志をもたせるためには、無我の境地に誘い込む必要があった。人格を失い、そして残ったものが、私の捜し求めた物となる。理論上ではそうなるはずなのに、実際は、生まれ変わりのようなものだった。真っ白な記憶に、別人の記憶が流れ込んでくる」 「はでしかない。私の記憶とおまえがもつ記憶が共通するならば、そこにある想いに違いなどあろうはずがない」 「それを信じることはできないよ、白哉。生きている実感がないのだから」 たどり着いてしまったんだ、とは言った。 これまでずっと隠し通してきたことを、はつらつらと語る。 「この実験はいわば魂魄の強化。霊力が魂魄に負担をかけるなら、魂魄という器を強めればいい。単純です。しかし最終的に得た物は魂魄の入れ替え。置換。魂魄そのものが新しいものになる。生まれ変わる。そう、この工程は、まるで義魂丸」 「義魂丸ですって!?その生成法はトップシークレットのはずよ」 「予想はつきます。作れといわれれば作れますよ。ただし死神から義魂丸への構成法だけですが。真似たわけでもないし、結果として似たものができたというだけです。さらにこの法則を適応すると、ホロウに意志をもたせることすら可能になる」 「何てこと」 「やめましょう。この研究は机上の空論でしかありません」 は、地獄を見てきたように、感情を塞ごうとする。 暗く、淀んだ空気に照らされていた。 「私は一度死んでます。魂魄は死に、それでも生き還った。そしてそれを藍染は真理と呼んだ」 「藍染ですって!?あなたは知っていたの!?」 「ええ。知っていながら黙認した。興味なかったんです」 魂魄の置換は、一週間前にはすでに行われていた。それを藍染が知っていたとすれば。 藍染の謀反。鏡花水月の時点ですでに、それらを知っていたことになる。 それを黙認したとなれば罪は免れない。 しかし。そんな報告があったとしても、誰も耳を貸さなかっただろう。 「まさか。まさか、朽木隊長は!」 「話してません」 混乱、動揺する卯の花を、は鎮める。 「たとえ誰に話したとしても、二重三重の罠はどうにもなりません」 「それはそうだけれど・・・」 は単に一隊員で、その責めを追う義理はない。 ふと、不吉な考えが頭をよぎった。しかし、どうしてもそれは言えなかった。 朽木隊長の妹、ルキアを見殺しにしようとしたのか、と聞けなかった。 修復できない溝をこの手で作るわけにはいかない。 「藍染はこう言っていた。私達は似たもの同士。たしかに、似ていた。だから、嫌った。同類嫌悪というやつです」 は、まるで他人事を話すかように、無関心なそぶりをみせる。 きっとそうやってずっと死の恐怖と隣合わせに生きてきたのだろうと、卯の花は感じる。 「彼は知識を欲した。けれど私はそれを捨てたかった。重いんです。一族の歴史が」 一族の重みは、その一族になったものでなければわからない。 そしてその重みが、に賭けを選ばせた。 「あなたはもしかしたら、誰かに止めてもらいたかったのではないの」 「希望がどうあれ、それを白哉が確実に止めてきたことは確かです」 「朽木隊長が・・?」 白哉は延命に力を貸した。一族の悪循環の構図を理解し、半永久的なそれをその度に断ち切ろうとしていた。 目的のためには手段を選ばないの行動を監視して、邪魔をした。 えらくむかつく奴だと思いながら、その優しさは伝わってくる。 「藍染の誘惑は巧みだったけれど、道の理解者ではない。誰かのために生きるのも悪くないんじゃないかと思ったこともあります。だけれど、どんな理由をならべても、自分が自分であることの意味はみつけられなかった。今もわからないことだらけですよ」 えらくむかつく奴だと思いながら、その優しさが伝わってくる白哉の、しつこいほどの記憶が私を支えたのかもしれない、とは考えていた。 「だから何なのだ」 相変わらず白哉は冷たく、どんな複雑なものも一つにまとめてしまう。 「人に心配させておきながら言うことはそれだけかと聞いている」 は、ぷいと顔をそむけた。 「悪うございました」 「もう一度」 「すいませんでした」 「もう一度」 「・・・。ごめんなさいっ」 は、やけを起こしている。 「何度も言わせるな」 「はいはい」 は両手を軽く挙げた。 「とにかくおまえが無事でなりよりだとひとまず言っておく。ありがたく思え」 この男、いつにも増して自己中全開である。 「言いたいことは山ほどある。だが何から言うべきかわからぬ」 「えらっそうに。何も言わないでくれませんか。期待しちゃいません」 「構わん。その様を見れば、効果なしだと思わざるを得んからな」 「人の努力知ってて言うかな、もう」 「努力などと、よく言える。気まぐれにしてはおかしいではないか」 白哉は煽っている。怒らせようとしているのはわかったが、それだけでなく、どこか変だ。 「白哉、あんたしばらく見ないうちに少し変わったんじゃないの」 「そうとも。よくわかったと褒めてもいいが」 「付き合いきれません」 うー、とは唸り、帰る、と強く言う。 いつもどおりのやりとりがあっても、やはりどこか距離感があった。 「迷わなければいいがな」 「うっさい。帰るったら帰る」 は、ベットから両足をつけた途端、体の重さに泣きたくなった。 「えーっと、さん?」 ずっと見ていた卯の花は言う。 「何ですか!」 は、いらだちを隠さなかった。 邪魔するなら殺してやるとさえ思った。 「お一人で帰られるんですか?」 「もちろんです」 「お泊りになられたほうが」 「イヤ。コレと一緒、絶対イヤ」 「まず無理でしょう」 卯の花は、コレと指差すに、にこやかに微笑む。 その笑顔は、疲労を100倍にする。 意地でも帰ろう、はそう決心した。 「ドーモ。失礼しましたっ」 「うふふ。それではまた」 は部屋をでると、最大のため息をついた。 「ついてくんな、犬!」 足が棒のように重たい。 気力でなんとか歩いているが、いつまでもつかわからなかった。 数歩遅れてついてくる白哉は、それで、と改まる。 「体調はどうなんだ」 「見てわかんないの?」 「・・まずまず、か」 「あー、むかつく」 白哉が言うのは、体力の方ではないとわかっていた。 だから余計に、答えたくない。 は唸り、こめかみを押さえた。 すると、白哉が軽く頭をなで返した。 白哉がおかしい。 「あのねえ・・。そーだ、つれてきたの白哉なんでしょう。責任持って帰してよね」 造作もないというように、軽々と持ち上げる白哉は、なんだか厭味のように見えた。 やな男、いちいち格好良くてむかつく、そう言ったら、少し驚いたように腕の力を強めた。 疲労はもう限界で、その腕の中で、は早々と眠りについた。 |
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