白の死神 |
朽木宗主が積年の想いを遂げられたということは、当家使用人ならば皆一様に知るところであった。 連日連夜、灯る離れの灯。お泊りあそばされる殿。 古き良き付き合いであるから、決しておかしなことではなかったが。 殿の世話はそのほとんどが宗主の手で行われるようになり、立ち入ることは許されていない。 その寵愛ぶりはいかほどのものかと、想像もできないわけである。 そうして独占する殿に固執した場合、ルキア様のお立場が弱まるのではないかと懸念された。 ところが殿はそうした境遇をすべて理解しているかのように振る舞い、まるでそれを感じさせないようにルキア様にお近づきになる。 宗主とルキア様は以前より近しい距離感を得、また使用人とルキア様との間柄もだいぶ近しいものとなった。 良いことばかりだ。 と、これまではまったく気にならなかったのだが、ふいに、使用人達と殿の距離が縮まっていないことに気づき、冷水を浴びたような心地がした。 ご婚約の儀を行っておらず、またその予定もない。 だが一時の戯れでもありえないお相手の殿の心中は図りしれないほど複雑な立場にあり、ご遠慮なされているのでは。 発作的に震えた。いずれ、災いに遭われるのではないかと。 ため息を付いて首を振り、あの方のために作られたといわれている難攻不落の離れを向かい見る。 あの方は、無条件に臣下を圧伏させる威厳をお備えになっているお方であるし、無粋な真似をしては叱られてしまう。 つ、と開いた障子の隙間から、神々しいまでに美しい立ち姿が顔を覗かせた。 一瞬、奥に消えたお姿は、開け放たれた障子の音ともに、やや赤い顔をなさってお見えになる。 本日は、お帰りのご様子です。 宗主はお見送りになられるのでしょうか。 いえ、これは。お二人共、お出かけになられるようです。 瞬時に移動なされた宗主は、愛するお方の腰に手を回され、その手をとっております。 それはまるで婚礼衣装に身を包んだ新婦を促すようでもあり、出産を控えた妊婦に前方不注意を補助するようなお姿でもあり。 まさかまさか婚前交渉を速やかにお済ませになるなどと、宗主もなかなか・・いえいえいえ、使用人風情がなんということを。 我ら一同、お二人の影が重なるのをただじっと見守っておりましょう。 今宵、月がとても綺麗でございます。 「何をしておるのだ」 ルキアはこそこそと不審な使用人に声をかけた。 使用人は心臓が止まったように驚き、それから黙って頭を下げた。 ルキアは使用人が見ていた方角を見て、顔色を失った。 「あの離れには近づくなと言われておろう。兄様に知れたら叱責が飛ぶだけでは済まぬかもしれんというのに」 兄様が一人になりたいとき使われるという隔絶されたお部屋で、一切立ち入り禁止、とルキアは養子に迎えられたときからそう言いつけられている。 灯りがともっていて、障子が開いていた。 兄様がおられるのか。 あの離れは、ときおり、白哉兄様の強い霊圧が放たれる場所でもある。 下手すると殺されかねない。使用人は逃げるように逸走した。 危ない危ない、とルキアも来た回廊を引き返した。 とある店では、隅の一角を独占していた。 恐縮するように、周囲には人がいない。 朽木独特の雰囲気が濃厚で、注文をうける店員以外は、誰も近づけないでいた。 「堅いこと言わないでおー」 はほろ酔い気分に浸っていた。 朽木白哉はの財布になっていた。 「たまには外のお酒も飲みたいな〜、なんて。ねっ」 朽木の家の秘蔵酒の方が断然味がまろやかで濃い。 けれど引きこもるのもどうかと思って、お願いしたのだった。 舌触りが劣る酒でもは勧んでそれに手をつける。 「格が違う」 白哉は明らかに顔をしかめる。それが見たかったの、と言ったら怒られそうな気もする。 「う〜ん、言っちゃなんだけど、まずさも知らなきゃ旨味も鈍るってものだよ」 白哉は庶民の味を注ぎ込む。 「まれにみるほど酷くはない」 「そうお?」 下の下をが白哉に飲ませるわけがないが、珍しく白哉の感想が遠まわしなのが気になった。 「がいる」 気持ちが嬉しくて、は微笑む。 白哉は、勢いよく喉に流し込んだ。 白化粧した徳利を持った店員が、こぼさないよう最大の注意を払って現れる。 「本物の味を知る旦那に、是非、と」 上のお客さんからです、と店員はいうが、そこに姿はなかった。 「花柄の上着を着てましたっけねえ」 店員は付け足すように言ってテーブルを離れた。 味見をした白哉は、これは、と思う。 これは、神酒。 酔うための酒ではなく、儀式用の酒である。 京楽が朽木にこれを持ってきたのには何か意味があるのかと自身に問う。 「なになに〜?京楽、何持ってきたの?」 の口から他の男の名前が出てきたのが気に入らない白哉だったが、心が狭いと思い直した。 この贈り物、活用しない手はない。 「出るぞ」 白哉が立ち上がり、は怪訝に思いながら支払いをすませる白哉を追う。 定員は明らかに多い支払い額をみて、震えながら大仰に頭を下げていた。 たぶん、京楽隊長にもらった酒を自分のものとして勘定しているはずだ。 「どこ行くの?」 「今日はの自宅で夜を明かす」 「いいの?」 「構わぬ。飲みなおすのだ」 宗主を放棄した。宗主は大抵、何かあったときのために余暇を自宅で過ごす。 重責をあたりまえのように毎日抱えていると、おかしくなるものなのかもしれないと、はつい、軽く吹き出す。 「おかしくは、ない」 冷静なのに、どこか、目が据わっている。 質の悪いお酒は、悪酔いしやすいらしい。 朽木白哉は元来、面倒くさがり屋だとは思っている。 千本桜にしてもそうで、防御を捨てるその術は動くのを嫌い、一歩も動かず華麗に敵の懐に入り込む。 の家にいくと言ったが、それもきっと、ここから近いのがの家だっただけなのだろう。 「邪魔したかったんだけどさあ。ちゃん幸せそうだし〜。ん〜、若いっていいねえ」 風にかき消されるその声は、誰にも聞こえることはない。 やや埃っぽい静寂な空間で、白哉は改まり、儀礼的に酒を口にする。 はその酒の中身を知ったとき、その意味を知った。 おごそかにとりおこなわれる二人だけの儀式は、時間が立つのも忘れさせた。 心の隙間に流れる温かい思いが、穏やかに満ちていった。 白い世界がそこにあり、私はそこでじっとしゃがんでいた。 寂しいけれどどこか懐かしい風景を、何も考えずに見ていた。心が落ち着いて、全く飽きない。 そうして、包み込まれるような暖かさを感じていた。 会いたい、と無性にそう思った。 そう思ったら、駆け出していた。転んでも痛くはなかった。 どこへ向かっているのか自分でもわからなかったけれど、今の私は何でもできると思った。 霧の中を裸足で走っていたら、突然足元が冷やりとした。 下をみると、それはゆらりと揺れていた。 知っていた。何度も見た景色。何度も来た事がある。 ここは、残魄刀の眠る地。私を呼ぶあなたの名は――。 柄すらない抜き身の刀は、手入れを忘れさられてとうに錆び付きボロボロにくすんでいる。 手を伸ばした。 だけれど、私はそれ以上動けなかった。 収めるべき鞘がないことを知っていた。 刀は怒っている。 なぜ名前を呼んでくれないのか。なぜずっと眠らなければならないのかと、悲しんでいた。 「さびしいの?」 は墓石に語りかけるように話した。 「ごめんね。出来損ないで」 笑い方など忘れてしまった、とそれは嘆いていた。 ――死ぬのがそれほど怖いのか 「うん。とても恐い。だから、君に会いたくはないんだ」 ――会いたいと願う者が他にいるのだな 「うん。だから、君と会ってはいけないんだ。彼に知られたら、怒られてしまう」 ――必要と・・・・・私は・・・ 「ごめんね。君の出番はまだだから」 世界が変わろうとしているこの時、在り方もまた変わる。いずれ避けられないとわかっていた。 声はもう聞こえない。 「できることなら、その時、君の長ったらしい名前を掲げたいから」 徐々に霧は晴れていく。 私はまだ、白夜と手を繋いでいた。 残魄刀がもしも、刀という存在でなく、人であったなら。 死ぬときは同じ、と人生を共に歩くことを約束して、愛し合える。 がそう言ってみると、白哉はせせら笑うこともせず、それを否定した。 「莫迦なことを」 「そうかなあ。だって、残魄刀である時点で、愛されてるのが確約されるんだよ。浮気もしないし安心できるじゃない」 一方通行でないとは思う。 「裏切りを知らぬ者とはいえ、意志に反することができぬ。いわば支配と服従の関係にあるそれは、それ以上のものとはならぬ。そもそも己自身と別の存在であるとも言いがたい」 「私は持ってないからわからないけど。分身って、どんな感じ?」 「身の内に住まいを与えているようなものだな」 「うーん。残魄刀になってみたいかも」 「具現化すれば、必ずといっていいほど、暴走するのだろうな」 「そっかあ。操れない出来の悪い残魄刀か」 「鞘に収まらぬとはそういうことだろう」 そうかもしれない。 白哉はの視点で語る。 「絶対的な存在に安堵すればそこで満足してしまい、それ以上の成長はみられない。それが望みでもないのだろう?」 手の内に収まるように押さえ込んで、それを全解放することができないのは、理想の形ではない。 主人としては役不足で情けないと思うしかなかったが、更木剣八と同じようにそういう付き合い方もあった。 「言わずともわかるというのは、勝手な理屈だな。便利な存在かもしれないが、それだけでは、本当に必要としているとき役に立たない空しい存在だ。誤った道を正すことができぬ者を伴侶に選ぶことは有益でない。感情に振り回されるのは遠慮願いたいが、結果的には、苦しい想いもまた自らの糧になるとは教えただろう」 「なんか私・・・、偉い人みたい」 「・・・どうだかな」 おもしろそうに、白哉は笑う。 「どっちなのよー」 残った神酒の数滴を、の手の甲に垂らした白哉は、それを手にとって口付ける。 「くすぐったい」 「美味だ」 「エロおやじも顔負けよね」 「明日は休みにするか?」 「勘弁して」 「少し寝ておけ。朝までそう時間はない」 「そうする・・。名残惜しいけど」 一日中起きていると、やはり体に負担がかかる。 それを見越したような白哉の、髪を撫でるその手つきは、とても優しくて心地よかった。 |
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